死刑に賛成の人は、自分の大切な人が死刑囚になっても死刑に賛成するのでしょうか。
— 橋本太地(弁護士) (@kojin_syugi) August 22, 2026
橋本太地(弁護士)@kojin_syugi
死刑に賛成の人は、自分の大切な人が死刑囚になっても死刑に賛成するのでしょうか。
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自分の大切な人が無残に殺されても死刑に反対するのでしょうか。
例えば自分の家族が皆殺しにされても
死刑に反対するのでしょうか?
このポストにボロ負けしてるw
死刑制度の是非を、「自分の大切な人が死刑囚になっても」という加害者側親類・縁者の心情から問うのなら、当然、逆も問わなければならない。
「自分の大切な人が惨殺されても、加害者を大切に思う親類・縁者の心情を慮って、なお死刑に反対するのか」と。…
— でれすけ (@deresuke_oraha) August 22, 2026
でれすけ
@deresuke_oraha
死刑制度の是非を、「自分の大切な人が死刑囚になっても」という加害者側親類・縁者の心情から問うのなら、当然、逆も問わなければならない。
「自分の大切な人が惨殺されても、加害者を大切に思う親類・縁者の心情を慮って、なお死刑に反対するのか」と。
しかも、この論法を一般化すれば、第三者だけではなく、実際に大切な人を奪われた被害者遺族にまで、「加害者にも大切な人がいる」と突きつけることになる。
加害者側には加害者側の、被害者側には被害者側の心情がある。
そして両者は当然に衝突し得る。
だからこそ、私人の心情と法的決着を切り分け、国家が法と手続によって刑罰を決めるのではないのか。
弁護士が死刑制度という法制度の是非を論じるにあたり、片側の当事者感情だけを切り出して「大切な人なら」と問うのは、あまりにも雑ではないか。
もちろん、私自身がこのように思っているわけではありませんよ。お前が被害者遺族ならおなじことが言えるのかという質問があまりに多かったので、カウンターの手法としてポストしました。
— 橋本太地(弁護士) (@kojin_syugi) August 22, 2026
もちろん、私自身がこのように思っているわけではありませんよ。お前が被害者遺族ならおなじことが言えるのかという質問があまりに多かったので、カウンターの手法としてポストしました。
その後に被害者の感情も加害者の感情も刑罰と切り離すべきだと考えているのならそもそもなんでそんな迂闊なポストしたの?
って返されてあ…あ…ってなってるやん
【その後】


死刑相応のことをしたなら仕方ないと諦めますよ、悲しいでしょうけどね
今の御時世では1人では中々◯刑にはならなかったりするけど、被害者側は1日でも早く処分して欲しいと思うよ
「日本の裁判で遺族が被告を死刑にしない様嘆願した事例」でググると
レア中のレアと思うが数件事例があるんだよね
身内を信じて、死刑になるほどではない、って言うの当たり前じゃない?
何でもかんでも死刑絶対ダメってのは、それとはちょっと違う話だよね🥺
でもそういう問題じゃないだろ
言語化うめー。
やっぱ議論はこうあるべき。
決して言葉を荒げずに淡々とロジカルにね。
罵詈雑言が飛び交うSNSはもう疲れたよパトラッシュ…。
引用元: https://hayabusa9.5ch.io/test/read.cgi/news/1787406121/

