抜粋
芦原さんが同社を通じて要請した脚本修正などの意向を、同局側が「素直に受け入れなかったことが第一の問題」と指摘。今後は同社刊行物のドラマ化についてテレビ局との契約締結を「放送決定時には済ませるべきだ」と提言した。
(中略)
日本テレビが5月31日に公表した調査報告書では、「必ず漫画に忠実に」など芦原さんのドラマ化の条件について、小学館側は「はっきりとした要望」と伝えたが、日本テレビ側は提案程度と受け止め、双方の認識に 齟齬そご があったとしていた。
一方、小学館の報告書によると、同社は芦原さんが「作品の世界観を守るために細かな指示をする」作家のため、「原作に忠実で原作を大事にする脚本家でないと難しい」と日本テレビ側に伝えていた。実際に改変に対して芦原さんは、小学館を通じて同局側に理由も明示して修正を要請し続けていた。だが、その要請の伝達は「(同局から脚本家に)正確に行われなかったと思われる」としている。
最終的には芦原さんの意向に沿うドラマが完成したが、その過程で「何時間も何時間も修正に費やしてきて、限界はとっくの昔に超えていた」と小学館側に苦悩を伝えていた。
以下略
https://www.yomiuri.co.jp/culture/tv/20240603-OYT1T50167/
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日本テレビの報告書よりも、小学館の報告書があまりに報告書としての体裁、文章としての幼さ、インクルーシブ的な配慮のない点が多々見受けられ、かなり驚いている。
ことばを扱うことが多い出版社にも関わらず。
読んでいて気になる点を報告書より抜粋する。
①原作者を「難しい作家」呼ばわり。 pic.twitter.com/6D32VCc7Ia— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
②なぜか被害者目線な出版会社取締役と社員 pic.twitter.com/5zCrkBDW6d
— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
③表記の時系列がよくわからない記述
おそらく、途中にTweetが大きく話題になったということをはしょっていると思われ、初期対応に対する経緯がよくわからなくなっている。
広報室への連絡はいつなのか?事案が大きくなったのはいつなのか?ここらへんは非常に重要だが記載がない。 pic.twitter.com/LjptCdfLxv— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
④「苦労」
芦原氏と日本テレビおよび脚本家サイド、あるいは小学館側の対応に対して詳述して非常に事態が悪化していたにも関わらず「芦原氏の苦労」程度で表現していいのだろうか?
※執筆に支障をきたす、脚本家交代を望むレベルは「苦労」なのだろうか? pic.twitter.com/bfujXJhdtq— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
⑤論理の飛躍
かなりの謎記述。
前半は「脚本家の投稿により芦原氏が精神的な影響を受けたこと」について。
しかし後半ではなぜか「従業員が業務に関連してSNSで個人攻撃されたときにはどうするのだろうか」と記載がある。もちろん社員の個人攻撃はケアすべきだが、作者に対しての話はどこへ? pic.twitter.com/NBgitB4wH3
— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
⑥「傾向」
芦原氏の原作への仔細なこだわりについて「芦原氏の傾向」という言葉選び。
もちろん意味は通るが、普通の神経でこのようなくくり方を言葉を使う人が扱っていいのだろうか。著作物に対するこだわり・クオリティへのコミットを「傾向」? pic.twitter.com/gULmuemk5g— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
⑦「回避」できたか全体として
全体として「脚本家とのやりとりを回避できたか」という「回避」を使った言葉選び。
なぜ「避ける」ことが前提なのか。
もちろんそれは、この文書が徹頭徹尾、出版社側に立っているからなのだろう。やり取りは「回避」すべきもので、「対策」すべきものなのだ。 pic.twitter.com/JIxt0hUHMp— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
⑧「とはいえ」
何が「とはいえ」なのか前後の文章を読んでもよくわからない。一般的にはそれまでの記述と相反する内容で、前段の話題を差し置いても考えるべき、という文脈で使うのが「とはいえ」だが、小学館にも責任はあることは認めている以上、差し置く意味がわからない。 pic.twitter.com/AInUhTVUg4
— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
⑨「思う」
会社の出す報告書というものは事実を整理し、検討すべき点および経緯について明らかにし、それらに対する対策や対応を記載するものである。ここにはなぜか「思う」という表現が出てくる。「思う」主体は誰なのか?会社なのか?特定個人なのか?何の感想なのか? pic.twitter.com/vYO5iJaPuE
— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
10 調整結果
この記述をどう思うかは各人に委ねるが、私個人としては「調整結果」という成果を表現するならば、「成績」の具体や「労力の成果」を定量的・事実において表現しなければ、特に意味のない記述になると考える。 pic.twitter.com/3TIuEPTb5e— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
11 「評価されている」
ここで使われている「評価」は見積もりとしての評価としての使われ方だが、これも「調整結果」と同様で、社員Aの業務量が極めて大きいことは定量的に示さなければ報告書としての体を成さない。
また「苦労の多い業務」はあまりに定性的な表現であろう。 pic.twitter.com/ii8Rt2SO6o— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
12 「個人の問題としてとらえつつ」
芦原氏が突然気持ちを表明したいとして協力を求めたのならこの表記はまだわかるが、
脚本家の投稿後に対する対応は小学館が明らかに関わったインシデントであり、「小学館が関与することは不自然」な可能性は全く無いのではないか?この記述がある意味とは。 pic.twitter.com/R1ajzaEIC8— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
13 「良かったかもしれない」
全体的におそらく個人の感想のようなものが散見される本文書であるが、「SNSに関する専門窓口があればよかったかもしれない」は最大級の感想的表現。対策として設置を検討する・提言するなどの方向性がないならば軽々に書くことではないだろう。 pic.twitter.com/olKSb142Cw
— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
14 「テレビドラマ化の成果」
この項の果たす意味は「小学館の責任逃れ」以外の理由は何かあるのだろうか?御本人が「ドラマ化に満足していたか」という非常にセンシティブな内容に触れるのであれば、メール・LINEなどのエビデンスを提示すべきでありここにはファクトは一切無い。 pic.twitter.com/bebyq75d3N
— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
15 「ケースバイケース」
報告書の体裁で、レトリックである「ケースバイケース」を使うこと自体が適切には思えない。
そもそもこの項は何も表現していない。
状況に応じて対処すべきなのは当たり前であり、その状況に合わせて必要な手立てを構築するのが「検討」であり「対策」である。 pic.twitter.com/ZMOdL0dR3L— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
16 「SNSへのリスク啓発」
提言における危機管理の項の一つ目が「SNSへのリスクへの啓発」を持ってきている。本件における危機対応においてのSNSのリスクはone of themであり、「危機意識」という点では著作権や原作の権利などへの扱い、コミュニケーションや契約なども必要ではないのか? pic.twitter.com/iDBj5Imoj9
— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
総じて…
・調査委員会の報告書なのにまるで個人の感想のようである
・ファクトが曖昧な点が非常に多い
・「社員を守る」立場が明確に見えるのは良しあしだが、それで他の関係者になおざりな言葉選びをして良いのか
・全体として記述が粗く、なぜチェックを尽くしてリリースしなかったのか— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024
— ベギラマくん (@cogitopp) June 3, 2024

小学館の調査報告書のポイント
▼原作者が、脚本の修正要求に多大な時間と労力を割くことを余儀なくされ、心労を増す原因になった
▼原作者の「漫画に忠実に」という意向を代弁した小学館の依頼を、日本テレビ側が素直に受け入れなかったことが第一の問題
▼原作利用についての契約締結を放送決定時には済ませるべきだ
小学館も無能
調整能力がない
原作者は悪くない
契約必須に法改正が妥当
これで見解がズレてるのが日テレPと小学館担当の間となったな
日テレは伝わってないというのが微妙に誰になのかを濁しているようにも取れるが
日テレ「これからも契約書作らない」
小学館「契約書作るべき」
どっちが悪かったというのなら一目瞭然
日テレ含むテレビ局が糞なのは周知の事実でわかりきっていること
そのうえでそれは少し小学館側の肩を持ちすぎだな
契約を結べないようならば映像化を許可しないといえばすむだけ
だけどそれをしない…なぜか?考えればわかるだろ?
本当の意味での彼女の味方はいなかっただよ
つまり何度も要望をないがしろにすることで疲れさせ
相手が根負けするのを待つ。そしてなし崩しでこちらの思惑通りのドラマを作る
一時期まではそのいつもの手法でPと脚本家が結託していたけど
芦原さんが思いの外粘り強くて、逆に日テレ側が根負けしたような印象がある
おせんて漫画をドラマ化した時に勝手に改変して散々トラブって原作を連載休止にまで追い込んだのに
同じプロデューサーが同じような事してるあたりずっとこのやり方でゴリ押してきたのは想像に難くないな
何度も繰り返すなら出版社が断らないとな
小学館に作者を守る意図があったように見えない

別に作品への愛じゃなくて会社の利益の為にやってんだから
根本はジャニーズとかと同じだよな局とナァナァの方が儲かるもん
ほんまか?
ほんまにほんまか??
しにくくなるスキームが出来上がってる。
原作者が文句あっても意見が通らないし
脚本なんか書けないから疲れて放っぽり出す
ってのが一般的なんじゃない?たまたま今回の
原作者は連載抱えながら脚本チェック修正加筆
して自分で脚本書けて脚本家降ろしてクレジット
日テレの好きなようにさせないようなガッツと
能力があったからこんな事になったんだろ
新しい映像作品作る為にどこまで原作を再現するかとか、著作物の利用をどこまで認めるかとかを事前に協議し、契約を結ぶのは、クリエイティブにとっても重要な事だと思うけどな
無駄な議論、無駄な対立も減らせるし
テレビ局側の傲慢さがよく分かる報告書だ
そのまま鵜呑みにするんもどうかな
同じように死人が出たモリカケの時に時間を費やしたように

日テレも小学館も、報告書をまとめて公表したという「体裁」が大事なんだろうなという印象
これまで、原作者それぞれの寛容さみたいなものにおんぶにだっこして好き勝手やってきたんだろうな
それが、双方の報告書にある「難しい作家」という表現に表れていると思う
で、芦原先生は作品に対する思い入れが強く、原作の執筆とドラマの修正に追われ過労で…という感じか
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1717433000/